息子が二歳の誕生日を迎えた日 少し淋しい気持ちと、ワクワクした気持ちと

カナダで育児

息子が二歳になった。

つまり、私の体からポーンと出てきて丸二年経ったわけである。

一歳過ぎて歩き始めた子が、走り出し、駆け出し、ジャンプし、ぐるぐる回り、階段を上り、下り、体を動かしてダンスもするようになった。

言葉も理解し始め、話し始めるようになり、簡単な会話もできるようになった。

家の中や外で、カタチや数字、自身の名前のイニシャルのアルファベットを見つけては声に出して名前を言うようになった。

お手伝いも理解して、洗濯物の移動や掃除機がけ(おもちゃだけど)を一緒にするようになった。

特にここ数ヶ月での成長ぶりがめざましく、気づくと「あれ、小っちゃい大人みたいだな。」と感じるようになっていた。

・・・もう二年経つ。

***

一歳の誕生日を迎えた一年前。

一歳の子どもの誕生日は、親のためにあるんだろうな、とブログに記した

今年もその思いは変わらなかった。子どもの誕生日は、親がその子の誕生の瞬間を思い出すためにあると思う。

少なくとも私たち夫婦にとってはそういう日でもあるようだ。

なぜなら一歳最後の日、昨年の0歳最後の日と同じく夫は数時間単位で

「今頃病院のカフェでパスタ食べてたよね。」
「今まだ陣痛促進剤入れてまだ余裕の表情で話せていた時だよね。」

と言ってきた。

「実は今年も去年みたいに言うのかな〜?って思ったんだよね。」

と私が言うと、

「・・・きっと毎年言うよ。あの日は人生で一番大事な日だから。」

と目を若干うるうるさせながら言ってきた。

出産が二年前の出来事となっても、まだ目をうるうるさせてこんなことを言ってくれる夫。でも本当に、出産はいい意味で一大事なわけである。

そして私たち夫婦にとって一生大切な日なわけである。

***

誕生日当日。

今年は息子が朝五時半にお目覚めで、家族一緒にプレイルームで誕生時間の六時半頃を迎えた。

前日夜遅くにトロントから駆けつけてくれた義姉も一緒だ。

ハッピーバースデーという言葉を誕生時間になった頃に伝え、

同時に自分にも、「あの日、よくやったよ。」と心の中で声を掛けた。義姉がいなかったら、夫は言葉にしていたと思う。そういう人である。

息子には少し前から、「誕生日が今日ということ」と、「一歳から二歳になること」を伝えてきたので、なんとなくそれを理解しているようだった。

何歳か聞くと、早速「トゥー」と答えた。日本語と広東語ではこれから教えていく。指の形もまだまだ練習が必要だ。

誕生日を少し理解しているところが、去年と違うところだろう。たくさんのプレゼントももらい数日間かけて開封したことも、この先きっと覚えていると思う。

一歳と二歳の誕生日を迎えるときの私の心の変化と言えば、

昨年は、一歳を迎える前日まで、一歳になることだけを考えて楽しみにしていたのに、

今年は少し違って、もう戻ってこない一歳の思い出をしみじみと思い返していた。

それはきっと、最近の息子の成長が著しく、自分では何もできなかった/少ししか出来なかったことが減って、自分でできることが増えてきたからだろう。

これからは自分でできることがどんどん増えていく。

だから少し淋しい気持ちと、ワクワクした気持ちが入り混じるのだ。

こんな感じで、一歳最後の日は、0歳最後の日とは少し違う思いでいた。

これからもっと成長していく。

できなかったことができるようになっていく。

「今」の息子を懐かしく思う日が絶対来るから、一瞬一瞬を心に収めていこうと思う。

イライラしちゃうこともあるけど、そんな日も懐かしく思える日が来るはず。

そう、一歳は終わり。
二歳はどんなことが待ってるかな。

健康でハッピーでいてくれたらそれで十分。

息子よ、誕生日おめでとう♥

***

一歳になった時の記事はこちらから↓

一歳の誕生日を迎えて初めて気づいた 子どもの一歳の誕生日の本当の意味
子どもが初めての誕生日を迎えて感じたことを綴っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました