さて、前回の記事ではカナダで夜間の救急外来に行ったことを書きましたが、
今回は救急外来での処置と入院の理由、病棟の個室に移動するまでのことについて触れていきたいと思います。
前回の分を読まれていない方は最初から読んでいただいた方がわかりやすいと思います↓
Exam roomにて
救急外来の待合室から呼ばれて案内された場所であるExam roomには、結論から言えば合計6‐7時間いることとなりました。
カーテン越しのすぐ隣の人も何度か入れ替わりがあり、その中でもある方はバケツか何か手にしているものの中に何度も何度も吐いていて、かなりつらそうだったのを覚えてます。
(かなりつらそうだったけど、しばらくすると薬をもらって帰って行ったので大事には至らなかったみたいです。(;´∀`))
私はと言うと、Exam roomにいる間は、別の場所まで車いすで胸部レントゲン検査を受けに行ったり、頭痛の原因がわからないということで脳脊髄液検査(Lumbar puncture)を受けたり、一応のコロナテスト、ECG(心電図)検査、尿検査、なども受けていました。
私がナースに話したこれまでの症状を見て、薬学医が「数週間前に出た発疹の症状を知りたい」と聞き取りにきたりもしました。
ナースが定期的に血圧を測りに来ましたが毎回低かったようで、「普段から低いの?」とよく聞かれ、測り直しをされることも多かったです。
特に数値を聞くこともなかったのですが、この後別の部屋への移動前に夫がやってきたときに夫がナースに確認したところ、上が60台だったそうです(@_@;)
「ふらふらしない?」「視界は普通?」と聞かれましたが、もう朝になっていてあのオールした日の朝のような変な感覚になり、
「自分でも夢を見ているようなふわふわした感覚が血圧低下からくるのか眠気からくるのか、よくわからない。」と伝えた記憶があります。
とにかく頭痛がひどく、Tylenol(アセトアミノフェンの鎮痛剤)をもらっても、あまりよくなった気がしませんでした。
入院することに (ナースオフィス横の部屋へ)
脳脊髄液検査を受けたのが朝10時半くらいだったと思います。
その頃トイレに行くのに毎回救急外来の広い待合室の方へ行っていましたが、夜中とは違って人がたくさんいた記憶があります。
子どももちらほら見られて、「ここチルドレンズホスピタルじゃないけど子どもの患者さんもいるのかなぁ。。。?」と思ったくらいでした。家族連れ添いで来ていた人が多かったのかもしれません。
意思ははっきりしていたものの、これから自分がどうなるのかということについてはあまり考えることができないでいました。
入院する自分が想像できず、でもこの状態で家に帰る自分も想像できず、考えることをやめ、流れに身を任せるままでいたかったわけです。
入院を告げられたタイミングははっきり覚えていません。手帳に書き残した記録によると、ドクターがやってきて、
「炎症を起こしているはずだけど何が炎症を起こしているのかがわからない」
「気にしてた自己免疫疾患の可能性はないわけじゃないけど、何かの炎症をきっかけに免疫が暴走を起こしているだけだと思う。」
そして
「お腹の調子もひどいし頭痛もあるし血圧も低いし、原因を突き止めたいし自己免疫疾患の可能性も排除できるところから排除したいし、1-2泊泊まっていきなさいね。」
と言われてたみたいです。
自己免疫疾患の可能性よりも一時的な何か別のものの可能性が高いということを聞いて少しだけホッとした自分がいたことは記憶してます。
この時点ではこれ以外に詳細な説明は受けませんでしたが、後から検査結果をオンライン上で見てみると、血液検査で下記項目で低い値が出て異常となっていました。
- Sodium(ナトリウム)
- Potassium(カリウム)
- CO2(二酸化炭素)
- Platelets(血小板)
尿検査では、尿比重が低で出ていました。
心電図でも心拍数100以上、他にも気になる部分があったようで、急性心筋梗塞を調べたのであろう血液検査も行われていました。
自分で感じる症状としては、頭痛と目がちかちかする感じ、たまに来る腹痛、めまいっぽい症状(寝不足からっぽかった)くらいだったと思います。
そんな感じで、いざ部屋に移動しようかーという直前、夫が戻ってきました。朝方息子をとりあえず一日預かってもらえる同僚を見つけ、その方の家まで子どもを送ってきたところでした。
部屋移動の少し前に強めのTylenolを渡されていましたが、これがなんと怖いくらい効果があり、ひどかった頭痛が急に消え去り、視界もくっきり冴え、世界はまるで別世界。幸せな気分になっていました。
そんな状態だったので移動も自分で歩いて行ったのですが、私はきっと薬の力でハイになりかけてたんだと思います。薬の怖さを初めて身で感じた瞬間でした。
案内されたのはナースのオフィス隣接の部屋。
カーテン越しにナースのオフィスがある造りです。隣の部屋との間は壁があるのでなかなか良いプライベートルーム。全て個室で5~6部屋あったと思います。
この時点まででメインで二人のナースにお世話になっていましたが、ここでまた新しいナースと出会います。
この方が今回の入院で出会った中で一番ユーモアがありフレンドリーで面白い人だったと強く印象に残ってます。
そんな方に私の人生初となる便検査キットを渡され明るく楽しく説明を受けました。おかげで割と明るい気持ちで取り組めました。笑
そして細いベッドに横になり、せっかくいてくれた夫の横で私は眠りにつきました(死んでない)。
彼も彼で一晩起きていて目が充血し相当疲れていたようですが、夕飯の時間くらいまでそばにいてくれました。
そんなこんなでナースのオフィス横の部屋で一泊し、日曜の朝を迎えます。
トロントから即飛んできてくれた義姉に息子を預け、朝からまた夫がやってきてくれました。
入院することに (通路へ)
朝の時点で、「入院病棟の病室に移動してもらいたいけどまだ部屋の準備ができていない。」ということを言われていました。
それからただ待つに待ち、昼前くらいに移動することになりました。私がいた部屋に別の患者さんを入れないといけない、ということでした。
ですが病棟の病室の準備は間に合わず。
とりあえずの移動先は通路でした。ストレッチャーを通路に止めるだけ。
でも、ちゃんとした入院エリアのようで、確かそれぞれのストレッチャーの駐車場には番号が振ってあったと思います。
かなりたくさんの患者さんが通路で過ごしているのには驚きでした。。(これが現状)
部屋にいるのと同じように、その日の担当ナースが定期的に血圧チェックや体調を聞きに来ますし、時間になれば食事も運ばれてきます。
こちらはカーテンなどないので筒抜け。医療関係者が普通にバタバタと目の前を歩いて行きます。出された昼食もストレッチャーの上で食べました。
救急車用の入口が遠くに見えました。定期的に人が運ばれてきます。私にとっては非日常な風景を見ながら、同じ世界なのに別世界だなぁと感じていたのを覚えています。
筒抜けであまり心地よい環境ではありませんでしたが、そういう病院の雰囲気を肌で感じることができ、そこに5-6時間いれてよかったなと今は思います。
そしてやっと病室の準備が整ったということで、ストレッチャーに乗せられたまま移動しました。
入院することに (病棟の個室へ)
この入院の話の冒頭にも書いた通り、出産以外で入院はしたことがない私。
数年前に日本でおじいちゃんのお見舞いに一度行ったことくらいしかないくらい、これまで自分も周りも入院ということに縁がなく暮らしてきました。
その唯一の出産での入院も個室という贅沢な入院を経験し、今回はきっと初の相部屋なんだろうな、とかぼんやりと考えていましたが、、、
今回も個室でした。トイレとシャワー、洗面台付きです。
理由は、白血球、赤血球、ヘマトクリット、ヘモグロビン、血小板の値が少なくなっていて色々と感染しやすい状態ということであり、さらにお腹の不調の原因もわからず、逆に別の患者さんを感染させてしまう可能性もあるから、ということでした。
サラッと言われたけど、今思うとなんかちょっと怖っ。
Isolation(隔離)でいる必要があったわけで、入ってくるナースも、毎回使い捨てエプロンと帽子、マスクを着用する必要がある部屋でした。
移動した後はすぐ夕飯を食べ、夫が家に帰ったあとはゆっくりしていました。
とりあえず洗顔や歯ブラシなどは持ってきてもらっていたので、久しぶりに顔を洗った記憶があります。
相変わらず頭痛がひどく、この個室に移動して一日目の夜はなかなか眠りにつけませんでした。
頭痛だけでなく、病室にいることに少し興奮していたところもあったと思います。
翌朝、「頭痛があったなら痛み止め出したのに~!」とナースに言われましたが、逆に薬で痛みがなくなってしまうと自分の異常に気づけなさそうで怖かったんです。
(この前のハイになりかけた経験がある意味恐ろしかった。。)
でも昼間になって結局痛み止めをもらいました。本当に経験したことのないような痛みの頭痛だったんです。でも直感的に、死にはしないだろうな、という。
ちなみに、脳脊髄液検査は人によっては頭痛が一週間程続くこともあるということで、その頭痛だったんじゃないかなと思います。
痛み止めを飲んだからといってこの前のように痛みがすっきり消え去ることはなく、痛みが少し収まる程度でした。
まあ、こんな感じで、入院生活が本格的に始まったわけです。。。
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次回は、入院生活でのルーティーンや、入院中に受けた検査の様子などを書こうと思ってます。
続きはこちら↓
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