つらさでいっぱいだった、でも学んだことがあった、2015年

徒然日記

年が明けた。それで2015年を振り返ってみた。

一言で言えば、一年の大半は、「つらい」と思って過ごしていた。ありたい自分でいないことのつらさ。それ以前に、やりたいことがわからないつらさ。将来が見えないつらさ。

今日は少し長くなります。

私がカナダに来て、どういう気持ちを抱き続けてきたかを書こうと思います。もしかしたら、国際結婚を考える人が通る道かもしれません。もしかしたら、ただ私が優柔不断で、悩みすぎる傾向があるだけかもしれません。どちらにしても、私の話なので、興味がある方だけお読みください。

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私がカナダに来たのは、2014年7月。ワーキングホリデーでやってきたものの、もともと5年前に福岡で出会った彼氏(ライム君)の生活を体験するためっていうのが本当の理由だった。

日本とカナダで2年間の遠距離、名古屋と大阪で1年間の近距離(?)恋愛をした相手。毎日のように電話をしていたので、TOEICのリスニングのスコアがグンとあがった。

それはさておき、観光ビザではなくワーホリビザで来た理由は、「海外で働いてみたい。」という気持ちもあったからだった。

それは自分の経験のためでもあったけど、ライム君という長い付き合いの相手がいる以上、カナダに住むことになったとして、

働く場所は見つかるのだろうか。そして

カナダで仕事を楽しむことができるのだろうか。

という疑問の答えを見つけたかったからでもあった。

大人になってからずっと、働くということはとても大事なことだと思っていた。働くことで、社会の一員になれる。社会の一員になるということが、自立した一人の大人だと認められることだと思っていた。

日本にいるときは、「英語」が強みになった。簿記2級もプラスになるし、その他にも、ある国家資格を所有している。頑張って手にしてきたものを生かして、仕事ができた。

カナダに来れば、英語はできて当たり前。日本の資格は持っていてもあまり役に立たない。ああ、私、本当にやっていけるのかなあ。自分で自分の面倒見ていけるのかなあ・・・。

もしライム君とうまくいかなくて日本に帰った場合のことを考えて、絶対にオフィスワークがしたかった。インターネットで見つけた会社にいくつかレジュメを送った。そして結局上司が日本人、の場所で働くことになったけど、学ぶことは多かった。だけど特に人間関係がうまくいかず、7ヶ月働いて辞めた。

辞めたことに関して、後悔はなかった。たくさん学べたし、それはそれでよかった。

そのあと3週間フルタイムでフラワーアレンジメントのスクールに通った。カナダに来てすぐにフラワースクールに通って、フラワーショップの仕事に応募すればよかったかもと思ったけど、オフィスワークを経験しなかったら、それはそれで、「オフィスワークやりたい。」っていう気持ちにずーっと縛られていたと思うから、これについても後悔はしてない。

7月に、ワーホリのビザが切れた。法律上働けなくなった。それなのに、働いていないことがとても辛かった。働いていない自分が許せなかった。人に会うのも嫌になった。「何してるの?」と聞かれるのが嫌だった。苦痛だった。私、働き盛りなのに。なんで働いてないの?って思った。

毎日、辛かった。

トロント市内からミシサガ市に引っ越した。今まで住んでいたところを、Airbnb(短期滞在者に貸し出すお部屋)とした。いくつか理由があり、毎月1週間程度だけ貸し出しをすることになった。その部屋の管理をした。

いくつかのサイトで出していたけど、お客さんは主に日本人となった。カナダ人もいた。お客さんとの出会いがいつも楽しみだった。

9月くらいに、年明け1月に日本に帰国しようと決めた。日本でやりたいこと、それは、働くことと、生け花を習うことだった。カナダでの生活を経験した今、日本に帰って、働いたら一体私はどう思うのだろうか。楽しむのだろうか。それともやっぱりカナダがいいと思うのだろうか。その答えを見つけたいと思った。

ライム君のことはずっと好きだった。だけどそれ以前に、結局は、自分の人生。好きな人と一緒にいることが全てじゃない。自分が自分に満足できる人生を送りたい。でなきゃもし将来子供を授かったとしても、その子供に、自信を持って「生き方」について教えられない。

この頃の私は本当に自分のことが嫌いだった。自分自身が嫌いなのに、他人を愛することなんてできない。暗い顔してたし、泣くこともあった。ライム君に対する「好き」がどの程度のものか、自分でもよくわからなかった。それでも彼は私の傍にいてくれた。私を楽しまそうと必死だった。

「結婚」という言葉はうっすら現れていたけど、それを現実にする時期ではないということだけはお互い確信していた。

この、つらい気持ちに変化を与えたのは、私の母の言葉だった。12月に、久しぶりに電話で話したとき、母はこう言った。

「世の中には働きたくないのに働かなきゃいけない人はたくさんいる。法律上働けない状態で、しかも働けなくても支えてくれる人がいるのなら、その働けない状況を、十分に楽しめばいいじゃない。

つらいって思いながら過ごしても、楽しいって思いながら過ごしても、時間はただ過ぎていくんだから、それなら楽しいって思って過ごした方が、無駄にしないでしょ。」

なんだかこの言葉が、とても心に響いた。そうか。そうだ。つらいって思ってたら、それだけ時間の無駄だ。

心が軽くなった瞬間だった。

それと同じ時期に、今後を変える出来事が発生した。ライム君が会社のあるポジションの選考に応募し、大勢の応募者の中から、最後の一人に選ばれた。

こういうのって、そんなにないことだし、色々とタイミングもよいことから、私は、この人と一緒になる運命なのでは?と思うようになった。

場所は、カナダのエドモントン。彼は、そこで、お互いに誰も知る人がいない場所で、私と新しい生活を始めたいと言った。

母の言葉で心が楽になり、毎日を楽しめるようになった。そしてライム君のこのことがあり、彼に対する気持ちもはっきりしてきた。

私はこの人といたいと思った。新しい場所で、一緒にやっていきたいと思った。

先が決まると、とてもウキウキするもので、今は、今後私に必要なものはなんだろうと考えている。

日本への帰国も、1月は取り消し。引越しが住んでからの帰国になる予定。

2015年、たくさん悩んだ。だけど、悩んだからといって先に進めないこともあると知った。くよくよするだけ時間を無駄にしているということを教わった。周りが、自分を動かしてくれることがあることも知った。

フラワーアレンジメントの学校で、好きなことを仕事にしたいというたくさんの人々と出会った。誰もができる仕事ではなく、私にしかできない仕事ができたらいいなと思うようになった。

家族も、彼も、私が楽しく生活できることを願ってくれているのに。

自分で自分を追い詰めてた。

だけど、そういう中で、見えてきたものがあった。

2016年は、前向きに生きていけそうだ。

コメント

  1. Anne より:

    何だかとっても共感してしまい、ついついコメントしてしまいました。
    実は私も2015年の半分はカナダで辛い気持ちと戦っていたからです(笑)
    状況は少し異なるのですが、働きたいのに働けない、働いていない自分が許せない、日本に帰ろうとしたことも、(実際一時帰国してしまったのですが(+o+)
    彼のことが好きなのか分からなくなってしまったことも…何だか似てるなぁって(笑)恐怖と不安と、悩みだらけの1年でした。そんな中でも少しずつ状況って変わるんだなって気づくこともあったり、慣れてくることで不安がなくなったり、少し自信も出たり…真っ暗だった目の前は2015年の後半には少ーし明るくなりました。何もできなかった1年ではあったけれど、私なりに消化・吸収できたこともあった年でもありました。今年はもう少し前に進めたらな、と思っています。
    きっとよく分からないコメントだと思います(ごめんなさい!)、お互いに良い1年になるといいですね☆

    • Rin より:

      Anneさん、お久しぶりです。ブログ見てくれてたんですね。嬉しいです。きっと同じような道を通る人がいると思って、思いっきり自分のことですがブログで公開しました。Anneさんも大変だったのですね。。でも、物事ってやっぱりうまくできていて、今思えばこの一年も重要な一年だったのだなあと感じます。そうですね、2016年はお互いいい年にしましょう!

    • Anne より:

      これからもブログ楽しみにしています!(^^)!

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